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こんにちは、Ken.Mです。
最近イキナリ暖かくなったり、天気が変わったりで、
どうもいろいろやる元気がでませんでした…、
この2日、ようやく元気が出てきたかなー、と思います。
>2chの文化
文化が最低限の社会常識を脅かすなら、その部分は訂正すべきです。
また、標準的常識の真の意味を理解せずに規則を持ち出す行為自体危惧致します。
まあ、Ken.Mの知り合いで嵐や祭りがあったことも事実なのですが、
あの非常に軽い群集心理と、被害は結果として犯罪といって過言ではないほど大きい
と考えると、全然バランスが保たれてません。
しかも、相手の精神年齢、思考能力が低いことに危惧を感じました。
Ken.Mに対して相手が何とか行おうとしている中傷行為が実効値を持っていないので…、
中傷発言の裏にその人物の情緒を読んでしまっているため、呆れる以前に、
このままの発達では…、と危惧してしまいました。
っていうか、こんなので、まともな答えも出ないし、
行為を見ても、これが楽しい。と思う神経が解からないのです。
発達障害と、はっきり警告したのはそのためです。
精神が未分化の上でこのような部分に触れるのは人格の構築を十分阻害しうる状況と判断いたしました。
また、この掲示板の設営者自体、その年齢や言動が、あまりにも広い世間、実社会の実情、を知らず。
責任感が無く、青二才だと判断せずにはいられないと感じました。
まあ、Ken.Mは、目の前にこんな人物がいたら、しゃべるより前に殴ってしまうかも知れません。<ネットでは、手が出ないのでおとなしいタイプで通っているようですが…、
もともと、人を傷つけるのは嫌いなのですが、相手に間違いがある場合、絶対に許さないタイプです。まあ、文にも軽く書いてあると思いますが、路上でチンピラをねじ伏せたり、そんなこともしてました。<結構ストリート系かも知れません。
恐喝行為もKen.Mは全然取り合わないタイプです。
>シャリネの画像は、
まあ、綺麗だったかも知れないのですが、
Ken.Mは次回作を改めて楽しみたいため、長年プレイしていなかったので、
映像の意味が全く解からなくって困りました。
あのヒントが未来への好奇心等を呼び起こす要素もあったと思うので、Ken.M的には残念に思いました。
>CG
Ken.Mはフライトモノ、FPS(当時はこのような名称はありませんでした)ばかりやってきたので
ポリゴン、テクスチャ、レンダリングなど、PCマニアに言ってすらも通じない時代から必要知識となっていました。
ムービーは、そっち系のソフトを使えば、一人でもそれほど難しいとは思いません。
モデリング→レイトレーシング法+ラジオシティー法による光学演算→エフェクト→アニメ化
という感じで、光学演算を主体として、テクスチャーは、
あまり使用していなかった気がします。唯一大変なのは、アニメだと思いました。まあ、ワイヤーフレームで確認しながらやっていたのでは?とは思います。
また、エフェクトにもセンスは出ますね。それにCGで一番大変なのは、テクスチャーという意見は、殆どのデザイナーの共通意見です。
しかも、DATAをスマートにしたいのなら、そのパターンアルゴリズムを開発せねばなりません。
これは、言うのは簡単でもシステムに組み込むのは苦労します。
ここは、容量とCPUパフォーマンスのバランスが重要になります。
当時の技術は日進月歩でフライト系はこの解決がメインで苦しんでいたように思えます。しかし、今見れば、FPSはG/Bの発展も条件に残りますが、
フライト系は容量だけの問題となりつつあります。
次に問題となるのが、FPSには物理演算プロセッサーです。
Falcomの問題はDirectXが出る前あたりです。なにも無かった気がしました。
DirectXに対応するのも大変ですが、それより、
ゲームになる以上、キャラ、マップ、装備等モデリングは大変です。
特に、テクスチャーDATAが膨大になるかと思います。
西風の狂詩曲の前後あたりに空白が多かった気がします。
http://rei-c.hp.infoseek.co.jp/flcm.jpg
やっぱ、会社は30年で腐るのかなー…、と思ってしまいました。
>ゲーム性
Ken.Mはここを深く考察致しました。
合成と書いていますよね、これは「重ね合わせの原理」つまり、付け足したもの。
コレに対し、シナリオ、ゲームがお互いに必要性を持ち高めあう場合、
乗算と捉えております。(相乗効果ですね。)
具体的にどのような事かと申しますと、まず、ある事象をプレーヤーに見せる、
プレーヤーが入力する、ゲームシステムがプレーヤーの感性や状態を把握し
ゲーム及びシナリオの表現を微調整し、鑑賞者に効果的に与える。
これは、一見シミュレーターに見えシナリオが破綻しそうだとも感じられるのですが、
実は、シナリオを効果的に感じさせるためゲームという手段を取り、
プレーヤーを脱線しないよう制御するのです。
小説とシナリオのある"ゲーム"の違いは、
鑑賞者が入力できてそれに呼応出来る。という大きな違いがあります。
そこに、実感という要素も高く入ってきます。
Ken.Mが遠大な計画と申しましたのは、実に、このシステムの延長線です。
結果は、恐ろしく、人間を壊すことや、心停止さえもさせる事に必要十分条件を満たす事を確認致しました。
実は、このような自我などの心の制御は、
調べてみると、ゲームではなく、様々な軍用の実験等多くの分野で結果は既にハッキリと出ております。
よって、人間はどんなに心を鍛えても再構築できます。
薬物を使えば強さはもっと効果が速く出ます。
よって、新しいゲームを創るにも目的に到達するシステムの理由があり、
これは温故知新で、ただ無闇に斬新というワケには行かないと思います。
~白き魔女~で、デュルゼルの手紙という章に示してありますが、
英雄と呼ばれるモノはある意味弱い。
しかし、その弱さは知っていてなおさらのこと動く理由もある。
そして、朱紅い雫では、弱いから頑張るというようなことを定義した上で。
それは神には無い能力であり、生命の素晴らしさである。
Ken.Mは実は昔から宗教を信じていません。
それは、人間の精神の弱さを示した幻影である。とも考えておりました。
よって、この意見は、宗教関係の人間を侮辱する行為だと思いあまり言いませんでしたがFalcomはこのタブーをハッキリ通しました。
この点をKen.M的にかなり評価致しました。
こんなシナリオは娯楽としては出しにくいと思ったからです。
それで、FL裏掲示板で、白き魔女は魂を消して自己犠牲によって消えたのは、
悲しい結末でハッピーエンドとしては認めがたい。と書いてました。
これに対し多くの宗教の神は自己犠牲によって成り立っているとカキコがありましたが。Ken.Mは、そうかも知れないけど、ソコが認めがたい理由であるので、
アレルギー反応的に正直に自分の感覚として認めがたいと書きました。
白き魔女を女神としてしまえば、簡単です。
でも、そうなると、この作品に対するKen.Mの評価は著しく下がってしまいます。
Ken.Mは最近確立したのですが、人命の尊重に他人と自分を分けると本当の命の尊さを半分以上否定する行為だと確信したのです。
頑張った場合、自分にもご褒美を、という考えは重要だと思います。
何らかの形でそのような事を根底に置かないとストレスの行き場を失い最終的には心身症になります。<実はKen.M自身がそうなのです。一度ストレスを覚えるとクセがつきます。
自己犠牲…、そんな精神は成り立ちません。
自己の命は最高の奉げものだ。
こんな錯覚もあって自決する人も、また、自己満足です。
・何かのために死ぬことが美学だ。<有終の美
・自分が死にゃ皆同情してくれる。
・この世の中が嫌になった。逃げたい。
このような感覚で死ぬ人がかなり多いです。
Ken.Mは、ある精神状態になると死は怖くないというより、永遠にラクになれる。が勝った事が何度もあります。衝動的にやってしまう人もいます。
Ken.Mも仕事を何度も変えましたが、職場の人間が異常と感じた場合はかなり多いです。
実は染まりにくい人格だと言う事もありますが、
社会で頑張って落ちこぼれないようにしていると、
自分は落ちこぼれたくない。→落ちこぼれは軽蔑。→自分が働きたくても体が受け付けない現象が起きた→社会のお荷物な自分を軽蔑(自己否定)→自分なんて消えちまえば解決する。
人の役に立つにはそれなりの達成した自己満足があるからです。
それがあっても、ストレスが続けば心身の異常は出てしまいます。
白き魔女は、迫害された時、かなり心を痛め苦しんだし、たまらずに泣いてしまったことも多かったのではないかな? と思っております。
それでも、追求し使命感を一人で持ち続けたのは、真の英雄の心を旅の途中で強めたからだと思っています。
白き魔女は、体を失って魂だけが残った故に純粋に正の心だけが残ったとも取れるのですが、<つまり、生身の体を引きずってると…、
これが実は朱紅い雫のテーマと絡めると、肯定できない問題になってくるのです。
よって、面白くないので一切否定致しました。
この前、ずっと探していた交響曲なガガーブのCDがもう、
使わないポータブルDISCプレーヤーに入ってまして、
開けたとたん、かわいーという感情が先立ちました。
いや、リニューアル版のパッケージのげるどにゃんが載っていたのですが、
あの、上品で嬉しそうな口元が良いです☆
あの絵は特別に良いです!!
http://kenm.k-server.org/shumi03.html
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